自分を知る怖さに向かい合う②
自分を知る怖さに向かい合う①
に引き続きのブログであります。
長男(アップ)は、中学校でいじめにあい、傷ついた心は環境を変えても
完全に回復することはなかった。
毎年、約3カ月ほどメンタルが落ち、何もできなくなる。
春になるころに気分が上がって来て穴から出始めて活動再開する。
心療内科に通うものの取り立てて効果はなく信頼する医者に出会うことなく9年ほどを
過ごしていた。その間、必ず受験期間が挟まり、自分なりに頑張っていた。
留学期間と重なることもあり帰国の覚悟はしていたがどうにかなった。
私の記憶の中では、症状は少しずつ緩和していったものの
社会人になるころまでは続いていたと思う。
私は、見守るしかなく、ただ見守ることしかできなかった。
毎年がどうなるかわからず、毎回、新鮮な気持ちでいた。
「今年はどうかな。ラストかな。始まるかな。」
そのことについて本人に聞いたことがなかった。
13年間に及び、聞いてみたいけど聞けなかったことを
聞く機会が訪れた。
それは突然のことだった。
「君は、あの後、どうなったの?」と アップに聞くと
「えっ?」
少しの沈黙に
「お兄さんも落ちるときがあったけど今はどうなっているの?って言いたいんだよね、お母さんは」
Jが言葉を添えた。弟は、その様子を垣間見て知っている。
「俺は学生の時はまだ続いていたけど、社会人になってからは起きていない。全く起きていないわけではないけれど仕事に支障がないようにやりくりしたりしている。迷惑をかけないようにやり方は探せばあるものなんだ。
落ちる時期や前兆を自分なりに感じたりできるようになったんだ。それには、自分の質を知ることをやっていたからね。」
「・・・・・・」
私は何も言えなかった。
ひとりで自分と向かい合っていたアップ。
アップは 自分の中にある気持ちをいじめにあってから1度も 私に話したことがなかった。
私はアップの気持ちを知ることが少し怖く、あえて聞くことはしなかった。
(母親を責める内容かもしれないという不安があった。もしかしたら アップは私が受け取るダメージを
想定しての気遣いなのかもとも思っていた。とにかく私は一切、自分からは触れなかった)
1年に数カ月落ちる姿を見つつ
中学、高校、大学、社会人と
13年間触れなかったことに 触れる瞬間は突然に訪れた。
そして
その言葉は
自分と向かい合ってきた人の強さ
が含まれるものだった。
ずっとずっと、気になっていたアップの気持ち。
不登校は
本人の気持ちの表れである。
そういう理解で納得が深まってきていた自分であった。
が、根っこの根っこには
実は母の自責の念はあったのだと気づいた。
自責の念は根こそぎ消失しなくてもいい。
あっていいのだ。学校にいけなかった事実は事実だから。
いじめにあったのは事実。
そこから変わっていったことも事実。
その軌跡が今に至るのだと感じた。
強くなってくれたこと
心の底から嬉しい。