母親の仕事とは①

2020年も残すところあとわずか。

先日、不登校関係の方以外で初めて 生きづらさを抱えて過ごしていた次男のことを話をした。

 

目標が見つからない。

生きる意味が見いだせない

楽しみがあっても続かない。

何を糧に生きたらいいかわからない。

18歳ごろから始まり19歳ごろには自殺計画を立て20歳ごろには私に殺してくれと迫ってきた。

私はずっと彼の気持ちを聴いていた。

自殺計画を告げられた時には否定せずに

なので自殺計画を告げられた時には否定せず

「どんな方法を考えているの」

「どうやって決めたの」

「期限とかあるの」

という言葉をかけていた。

 

なぜ、やめさせようとしなかったのか?

常識的には自殺しようとするわが子を止めるだろう。

彼との対話は1回に3時間くらい要する。

それだけ彼を取り巻く蜘蛛の巣は絡まっているのだ。

常識で考えることで解決策が見つからない彼は死の選択をしたいのだ。

私は彼のしたいことについて話を聞きたい、そう思ったから聴いていただけである。

私は彼に死んでほしいとは微塵も思っていない。

 

自殺計画決行まで彼の予定では 3カ月。

彼はその後、以前に比べて心軽くなったように見えた。

聞くと、生きることの終わりを決めたらホッとしたという。

つらいまま どこに着くかわからないまま生殺し状態で生きているよりも

あと少しということでやりたいことをやっていこうという気持ちが出て来たのだという。

面白いものだねと。

 

 

 

この話は2017年の話である。

 

 

 

ワタシノココロハ  ツイテイケテイナイ

次男が働き始めて2週間が過ぎた。

 

毎日、起きている。

毎日、支度して出かけている。

毎日、帰って来て ご飯を食べて寝る。

週末は体力温存。

休みでしかできないことをやる。

月曜日からの仕事に備える。

 

 

仕事先での出来事を話す。

1日が経つのが早いそうだ。

 

 

 

日頃から三男と私の話し合いで こじれること多し。

その様子を聞いていた次男が私にそっと言う。

 

 

「ずっと家にいた俺が言うのもなんだけどさ、あいつ、家にいすぎだから

お母さんとやり合うんじゃないかな。家にずっといると 世界が狭くなり

お母さんの行動や言葉が気になり、何か言いたくなっちゃうんだよね。

外に出ると 家にいる時間が短くなるからお母さんのこと、見なくて済むし

気になっていられないからね。優先するものが自分にできたからかな」

 

 

本来ならば、息子の変化を喜ばしく思う母のはずであるが

 

何だかな~~。

 

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ワタシノココロハ  ツイテイケテイナイ

 

 

次男が生きづらくなって約4年。

いつが終わりなのか,知るすべもなく

私は荒野を歩き続けた。

荒野と思っていた原野には

よく見ると生き物が生存したり

植物も咲いていて

人の声もした。

果てしなさはあったが

歩くことは苦ではなくなっていた。

 

 

期待することを手放す。

いいことが嬉しい。

悪いことが悲しい。

自分の思ういいと、人の思ういいとの違い。

価値観の違い。

速度の違い。

普通って何?

ストレスって何?

生きることの意味。

死ぬこととは?

嬉しいこと、楽しいこと

進めるときの手順。

 

次男と対峙することで

 

人の見方には自分の想像を超えるものが存在し 

答えは一つではないと言うことを

見せつけられた。

 

 

その繰り返しで得られたことは

形あるものは壊れる。

楽しいことは続かない。

どん底まで行くことで限界を知り、あとは這いあがるだけだ。

一人一人、何かを測る物差しを持ってはいるが

その目盛りの間隔は違う。

 

1年前、死に向かっていた次男と

今、生に向かっている次男。

 

どちらも同じ人である。

 

 

整理がつかない。

整理しようとしても整理がつかない。

そもそも 整理する必要はないのかもしれない。

 

 

今が

その時であれば

それでいいのかもしれない。

 

その時が来ることはわかっていた。

 

その時がいつかを

ただ知らなかっただけ。

 

「今」が

突然に訪れて

変化についていけていない。

 

 

 

 

 

 

家族会議

この秋 我が家の家族の形に変化が起きます。

その変わることにあたり しばしば 話し合いが執り行われています。

メインファシリはその都度 違いますが たいてい枠組みを作り精査する人は決まっています。

返答に窮すると脇から私の意見を咀嚼してくれる人がいます。意見をあまり言わずじっと聞いていて、ぼそっと芯をついてくる人もいます。

私はいつも質問の答えになっていないとか、軸からずれると言われています。

人の意見にかぶせたり何かひらめくと見境なく言うことで、空気を読まない発言を指摘されたりもします。ぴしゃりと言われて凹み、黙っていると 意見を求められ 何て言っていいかわからず(また考えていない発言と言われそうでビビる自分)この時間は控えめに小さくなって参加しています。

 

殆どの いさかいの根源が自分から起きていることが改めて明るみになる。

周囲は みんな、そのことを知っており、自己認識が低いのは私だけという

トホホな事実。

自分が正しい感が満載で相手をなかなか認めようとしない。頑固である。今日の話し合いで やっとこさ自分は 相手の意見を認めた。認めただけでは納得してもらえず それを知ったら次にあなたはどうするのか? そこまで追及される。

 

家族に鍛えられている自分。

 

10時から15時まで 休憩なしで話しました。

(途中、お腹が鳴った。けど言い出せる雰囲気ではない)

 

あっという間の夕方。

 

 

夕飯は鶏の唐揚げとあんかけシュウマイと茄子の揚げびたしとチョレギサラダ

男子の胃袋を満たすことで 感謝の意としてを表明する。

息子たちよ、ダメダメ母さんに

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お付き合いしてくれて ありがとう。

私の誕生日~まさかの展開~

今日は私の57回目の誕生日である。

朝、起きると57歳になっていた。

 

我が家では家族のお誕生日会を数年前に手放した。

 

よって 今日も普通の日として

期待せずに過ごそうスィッチが 朝から入っていた。

でも、休みの日で作るのは面倒だな。

祝ってくれとは言わず 外食として二人の息子を誘ってみようかな・・。

 

 

私「あのさ、今日 家にいる人?外食に行かない?」

次男「俺、夕方から用があって出かける。遅くに食べるかも」

三男「おれ、いる」なんでという顔つき。

次男「お母さんの誕生日だから外食したいんでしょ?行ってやんなよ」

三男「他に誰行くの?まさか二人で?マジ、きつい・・。」

次男「お前が作ってやればいいんじゃない。料理、上手なんだから。俺も食いたいし」

三男「まだ兄のためとかのほうが はるかに作りやすい。ケーキだけお願いでもよかったよ」

 

ふと三男がやり取りを聞いていた私を チラ見する。

 

「(笑いながら)めっちゃ喜んでいるんだけど・・。」と私を指さす。

 

あわてて頬を触るとほっぺたが上がっていた。

自分では知らないうちに そんな顔になっていたんだ。

 

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次男「嬉しいんだよ!」

私「顔に出るタイプなもので」

 

皆が笑った。

(久しぶりだ)

 

そこから二人は料理選びの話で盛りあがり 料理アプリで検索が始まった。

 

私は しれっと その場を離れた。

 

しばらくして三男が 部屋をノックした。

少し 笑いをかみしめつつ、何だか、もじもじしている。

 

「あのさ、夕飯ってさ、少し遅くなるのは大丈夫?」

「うん、9時くらいまでに食べ終わればいいよ」

「OK」

 

数分して 玄関を出ていく音がした。

 

たぶん 買い物に出たのであろう。

 

ま・さ・か・の・・!

 

 

 

 

 

 

動いている

子どもたちが動いている。

こう書くと何事かと思われるかもしれない。

 

次男は22歳。高校中退し高卒認定取得し専門学校に入学。1年間通学した後行かれなくなり1年冬眠した後に退学。そこから4カ月バイトした後 辞める。メンタルが落ち何もせずに家にいる。もともと18歳のころから生きづらいと言っていた。20~21歳の頃は死に向かう方法を考え続けていた。母親に産んだ責任を取れと言い、殺してくれと迫った。

去年の今頃は毎週 次男と私は話し合いをしていた。1回につき3~4時間かかる。話し合いと言ってもほとんどが次男主導で私は傾聴していた。去年の10月傾聴にもイライラし始めた次男は「ヘラヘラ聞いているだけじゃん。いつ殺すのか はっきりしろ」と言われ話し合いの頻度が週に2回になる。

 

 

殺気立っていた 去年の今頃

 

 

あれから1年が経つ

 

 

今、次男は家を出ようと計画している

来春4月から大学に入学し兄と二人暮らし計画を進めている

それに伴い、アルバイトもしようとして探し応募したりしている

 

次男は新しい環境に行くことを決断した

 

大学の話

新しい住まいの話

アルバイトの話

 

次男の話に淡々と対応している私

 

その心の中は

 

実は

 

嬉しさ、いや違うな・・

喜び、でもない

感動、でもない

 

ぴったりの言葉が見つからない

 

一言では言い表せない

 

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泣きそうである

 

 

家族会議に時間制限はない

ここのところ2カ月ほど家族で話し合いが続いている。

 

子どもたちの自立に向けていろいろと話をしている。

 

私は 相談役として長男に弟たちのことを頼んだ。

生活費削減に向けて身辺整理し、その中でも

携帯費用の見直しをしてきた。

 

 

長男は社会人として働いており一人暮らしをしている。

その長男が経験と自分のスキルを活かして弟たちに話をしている。

 

ちなみに私から下の二人に節約の現状を話しても全く伝わらず

携帯代見直しには至らなかった。

 

長男は3月くらいからほぼ毎週末実家に帰って来て話をしていた。

さらに弟たちとLineでやり取りもしていた。

携帯代金の契約者は私であるので了解をとったりすることもあり

家族会議は続いた。

 

そして5月某日。

次男の携帯は格安スマホに乗り換えができた。

(実はこれは けっこう複雑なのである)

長男は すべてのことを自分でするように

さりげなく弟たちと関わっていた。

困ったことが起きたら連絡をすること。

連絡とは現状の説明と自分が何のために何をしようとしているかを

話すことをさりげなくさせていた。長男は相談に乗っているようで弟が

自ら調べたり動くように関わっていた。長男は自分の実践を元に話すが

弟が中心に動くように関わり 私にはその動向を報告していた。

 

 

結果として 生活費としてだいぶ削減できるまでになり、さらに自分の携帯代を

自分で管理する意識を持つまでに持って行った。

 

長男は話し合いの時に 目的を明確にと言っていた。

会社の中のように 私は何度も批判を受けた。

 

 

結果につながったことで気づいたことがある。

家族の話し合いは 会社のように何時から何時までという時間制限はない。

話し合いの場は ほぼ家の中なので納得がいくまで話をできる。

夕食の後に何となく始まったり、各人の予定を聞いたうえで何となく話したりと

家にいさえすれば話し合いができる。

この何げない話し合いは意味があるのだと長男は言う。

こうしてコミュニケーションをとることで

お互いの腹の内がわかり 相手の求めていることを感じ相手の望むことを叶えることが

できる。人は自分の望みを叶えてくれる人に感謝し信用する。そこから信頼関係が生まれて相手のために何かをすることを厭わなくなる。俺はそれを会社とかで学んだと。

今までの携帯代金の支払いは私が契約者になっていたため その手続きのためだけに携帯ショップに同行させられ 契約内容については私はチンプンカンプンだった。ショップの人の言う通りにしていていた。

今回のことでおふくろも学べと言われ何度もショップに足を運び携帯事情について調べたり子どもたちの現状を把握しようとした。話し合いのために情報を得てから臨むことで関心を持って耳を傾けることができた。

 

弟たちは 携帯に関して自己管理する意識を持つようになった。

と引き換えに 家計の負担額が減った。

 

私の心の隅にあった子どもの自立と経費削減問題が小さくなったのは

否めない。

 

何よりも 弟たちは長男にリスペクトの念を抱いている。

長男は仕事で忙しい中 家族問題に関わってさらに立ち会っているからである。迷惑だから相談しないということを言わせないほど責任を持って取り組んだのである。この姿勢に弟たちだけではなく 私も頭が下がる。

 

我が家の家族会議に 親とか子どもとかの上下関係はない。

自分の思ったことを言い、相手の言い分にしっかり耳を傾けるだけである。

(忘れちゃった・・ということが多い私は 言い訳するなと言われた。そのために何か工夫をしろとも。私はメモしながら聞くようになった。)

 

こうして家計簿が見直された。

 

収支が明確になり赤字から黒字へ改善するよう

何をどうするか考えやすくなった。

行動に結びつけやすくなった。

 

ここまで書いてみて気づいたこと。

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私にとって少し負担でもあった家族の話し合い。

何が負担だったかというと自分のことを責められることに気持ちがなえていた。

が 何のためにしているかというと家族のため。時間を使っているのは

誰もが同じ。特に長男は 中心となって動いてもらっているので申し訳ない。

長男の家族愛の意識の高さに驚く。

そして

あらためて長男に尊敬の念が湧く。

 

 

結果に結びついた時こそ 大変だった面倒くさかったことの

意味が理解できる。

 

長男は いつまでも親に頼っていられないことを弟たちに話したという。

 

実践を積んでいる兄から自分で生きるという意識が弟たちに伝わったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいこともある。気づく自分

今年に入ってから家族事情が慌ただしい。

そして、4月に入ってから仕事がパツパツで

泳ぎ続けるマグロの気持ちがよくわかる・・なんて。

家族事情は家にいるとき最優先しなくてはいけなくて

意識を持って取り組むことを心掛けた。

と言っても 主に週末しかできなかった。

取り組むと言っても「自分なりに」とカギカッコをつけて

と いうところが自分の甘さだと思っている。自分でやっているつもりなだけだと 現に家族から容赦なく言われるし。


仕事は2歳児の担任を任されたことで今までのパートとは

違い 責任の重さを強く感じる毎日である。今までの自分のプロ意識の低さを痛感する。全然やったわ〰️。


すべてのことが初めてといっても過言ではなく

知らないから失敗は当たり前の体で臨むしかない。

にしても 1度教わったことが次でも覚えておらず

メモしていても抜けるし集中して聞いていても漏れる。

帰宅して復唱しても これでいいのかと自分を信じられず

毎日が未完了で夜になる。3歩進んで2歩戻る自分。


5月になると シフトの幅が広がり(4月は試行段階だったのか?)

7種類の時間帯を網羅することがマストになっていた。

それに気づいたのは5月終盤。

 

早番は6時台に入り施設開始に向けて 一人で準備する。

遅番は施設閉館を一人で行う。

準備のためのチェックリストの紙を持ち歩きながら行う。

開け締めのことだけではなく次のことに繋げる準備をこうして今までもしていた人がいるという。その事実さえ知らなかった。


そのほかにも 書類作成が任せられ、保育の時間の隙間を縫って

やっていくしかない。当然 時間が足りなく毎日 何かを背負っている。「まり先生」と呼び止められるたびに 何かやらかしたなと反応する自分がいる。実際、大抵が自分の範疇外であり それが他の人から見ると当たり前のことという・・。


毎日 ポジティブを頭打ちにされても一晩寝ると 「さぁ、行こう」という気になる。この2ヶ月で打ちのめされることは多々あるが 行きたくないと思ったことはない。


その背景には 以下のような人の存在がある。

 

クラス担任が二人体制であること。

私の教育係でもあり相談相手でもあり保育の現場の共有者でもある

パートナーの先生の存在は半端ない。

私がする数々の失敗を なじることなく向かい合ってくれる人。

 

パートナーの先生が 私に費やす労力は いくら仕事であるとはいえ

相当 面倒くさくイラつくことになるだろうと想像する。

毎日毎日を 共に組んで働いてい過ぎて 何と言っていいか

言い表せないほど 頭が上がらない気持ちである。

 

外でいっぱいいっぱいなまま 家に帰ると重めの話が待っている場合も

4月5月は多くて 週末にまとまって話し合いをすることもあった。

 

仕事に行くことが 息抜き的になっていたこともあった。

 

そんな空気の中 嬉しいこともあった。

 

 

 

遅番で21時過ぎに帰宅すると 三男が「食う?」としゃぶしゃぶの用意をしてくれたこと。片付けもしてくれたこと。

 

帰宅してから夕飯も早々に 仕上げなくてはならない書類があり食卓でやっていると

テレビを見て笑っていた三男が ふと見るとシンク内の食器洗いをしてゴミをまとめてくれたこと。

 

何度提出しても 付箋付きで返却される園だよりが 〆切日前日に出せたこと。

(未完了→完了!)


早番遅番をチェックリストの紙がくしゃくしゃになりつつも、一人でできるようになったこと。

 

頑張る自分に声をかけてくれる先生たち。何かしら助けてくれる職場の雰囲気。

 

気分転換&体力作り→隙間時間で 走ること→自分時間の大切さ

 

パートナー不在の日、初めて一人でクラスを回せたこと。

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怒涛の日々は 間違いなかった。

 

比べると 少し今は落ち着いてきた。

 

大変なこともあるけれど

 

いいこともあるんだね!